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酒 −谷桜−
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谷櫻酒造有限会社
【コラム】

のんべー の おしゃべり

酒盛り 遍歴編

このページは、お酒大好き人間が、突如の体調変化にみまわれ大好きであったお酒が、口にすることができなくなった悲しいお話です。

若かりし頃、アルコールの切れぬ日は、ほとんどなくアルコールを無二の親友として、日々活躍しておりました。

おもいで 少年期

学校の近くに蔵元があり、小さい頃は蔵元と付き合いのあった叔父のおかげで、絞り立ての粕をいろりであぶり、あぶった酒粕を一口大に手でしゃき、その焼きたての粕から香る甘い匂いに酔いしれながら、口にほうばり、叔母が粕を使った暖かい甘酒を湯のみ茶碗に入れ、ごちそうしてくれるので小学校帰りに寄り道をし、よく遊んで遅くなり帰り親父に怒られた思い出があります。

そんな私ですから、今で言う、組新年会があると、殿方は日本酒、奥様方は葡萄酒での宴会になり、悪ガキどもは頃合いを視はかり、奥様方の葡萄酒(今風に言えばワインを一升瓶に詰めたもの)を失敬し、飲み過ぎて大人にばれて大目玉を食らうはめに。
(今考えれば、どえらい贅沢な悪ガキ酒飲みであった)

青年期

夏場の喉ごしのビール、のどをうるおすのと、炭酸が喉から胃までクスズルり鼻から抜ける炭酸とビールの甘い香り、口に残るホロ苦さ、たまんない!!
(クー飲みたい、でも飲むことができなくなってしまったこの辛さ!!!!)
冬は、家の軒先につららが垂れ下がると、角瓶を懐にしまいつつ、軒先のつららを一かじり、グラスに放り込み琥珀なる液体をそそぎ、一人密かに酒盛りを始める夜更けに、遠くの友人がラジオで呼びかける。
無線を使った空中宴会、話はいつも酔いつぶれた人から流会に。
こんなことをしながら、いつしか少年もオラ東京へ行くさで、数年地元を離れ学業とアルコールに専念しまして、山梨のほうにもどり、やっとこ二十歳を過ぎた程度でしたが、日々のお仕事の他に、お酒の勉強を始めたのでございます。
当時の給料の七割は酒代に消え、バイパス沿いのスナックにボトルがキープしてあり、曜日ごとにスナックを変えてのはしごをしていたようです。
   今では、絶対にできない夢のような時代でした。
当時も、罰則はありましたが、今の酔っぱらいほどの罪悪感の無い無謀な行動は少なく、人を傷つけ逃げる酔っぱらいは、あまりいなかったよう思うが、何せ酔っていたので当時のことは、あまり定かでない。

22歳の時に、突如胃の痛みに襲われたが我慢をし、痛み止めと称してアルコール量を増やしたところ、半年くらいで吐血。
急遽医者に掛かると胃潰瘍、十二指腸潰瘍、合計で穴7つとの診断、Dr.曰く=胃、切り取りましょう。周囲賛成ムード。
胃、切除=アルコール無しの生活=耐えきれない=胃、切らない。
本人、病院を抜け出して雲隠れとともに、Dr.にお願い。
良い子になりますので、お代官様、手術だけはご勘弁をと直訴、悪化する危険性は非常に高いが、投薬治療と食事制限で治療と言うことになり安堵した22歳でした。

それから数年間は雲隠れをし治療に専念
 時が経ち、地元に帰ってきた頃には、完治はしたが、後遺症が発生し、アルコールの接種量が一定量を過ぎると、お尻に異変発生  !!!!!!!

       お猿さんのお尻に変化。 
昔子供の頃のおはやしに、  バカ〜馬鹿〜おまえの〜かあーちゃんでべそ、
    〜  おまえのおしりも まっかか、  あかんべム
       お猿のお尻になってしもうた。

胃の完治を良いことに、多くの酒類と度を超した飲酒と喫煙から、日本人なら男女を問わす七割の人がなると言う大物を授かり、粛々と育ち上げ立派な物になりました。(煙草がお尻にまで影響を与えるとは思ってもいなかった)
笑い事ではない、痛くて椅子や車の座席にさえ座ることができない!!!
激痛で目覚め、朝早くから救急専門医にお願い。
連絡がとれ、治療の為に車で横になったまま移動時間1時間あまり。
お尻とあそこを丸出しにして、若いナースに見守られ (チョー恥ずかし)
30代での一回目の緊急手術、物が小さいので、ガムテープ て゛止めることは無かったが、それにしても、恥ずかしさよりも激痛ーが お尻から走るーパンツをおろすことさえ出来ない激痛ーそれよりも、参ったのは

こりたー 超痛い 長年のアルコール摂取とコヒー大好きで、手術時に麻酔が効かないことが判明、Dr.との検討により2、3センチの切開ならば麻酔無しでやることに、
麻酔を使った場合よりも、完治が早く、職場復帰が出来るとの判断で

しかし、麻酔無しの代償は激痛を通り越して、意識が遠のくほどのものでした。
(これは、化膿した部分の切開と切除をともなう医療行為です)
飛び込みの緊急処置だったのですが、応急処置を行って我に返り
ここまでの通院は不可能なことに気が付き、Dr.に相談
近くの病院で治療できるようにお願い。
Dr.の連絡により、通いなれたる病院での治療と相成りました。

通院して、経過を見ていると悪化(安静せずに仕事にでた為)
またまた、化膿部分が拡大し、範囲も広く深くなり、Dr.からの進言
大腸がんになったら困るので、奥から化膿部分を絞り出し
患部と大腸の内壁まで炎症部位と化膿してつながっている間を
管を入れて完全消毒をしましょうとの提案
激痛と苦しみの時間、日々の生活を考えると家族の顔が同意

メスが皮膚を切り裂く感触の後に激痛ーが やってくるのでありました。
前回と同様に麻酔が効かないのです。
切開→洗浄→消毒→化膿部の絞り出し→洗浄→消毒→縫合
の順序だったかな、切開時にかなりの出血をともなう膿の破裂があり
手術着に飛び跳ねているのが見えた。
激痛の中でもそういう記憶はハッキリとしているものだと感心。
激痛ーが襲ってくるー  目の前真っ暗
周りで見ている人と私を押さえている人の中に気絶した人もありました。

教訓 
手術時には、普段から麻酔の効く体にしておきましょう。

懲りない性格で、完治とともにまたまた各酒類の飲酒の猛勉強を開始、
この頃、地域の付き合いから日本酒に趣味が移行。 
幼き日々にやっけー になった酒蔵がそこに!☆!!!!
地域の交流会があるたびに酒蔵の社長が新作を飲み会で披露 ごっさんです。
(今で言うと てーすてぃんぐ かな いや たんなる 利酒飲み会です)
おいしい新作をごちそうになりまして、日本酒のファンになりました。
そんな私をファンにした蔵元がここ大泉にあるのです。
紹介いたします。 谷桜酒造 です。

このへんに、てきとうに、いれておけっしゃー(紹介パンフレット)
ほうしりゃー みんな いいようにみるらー ま てきとうでいいやー
だけんど ちゃんと のっけておけしゃー
ほーじゃねーと おこられるじゃーねーけー
ふんじゃーまた たのむじゃん あそびーいから!ね !!
ごっちょーだけんど よろしくたのむじゃん。

などと言って、調子こいてる間に、私の体に宿った病魔は着々と活動領域を
広げ、仕事や生活環境の変化に追われる日々を忙しく送っていたならば、またまた、ストレスを貯め、身体の癒しのつもりで出席した宴会の席で、ついに
牙を剥いて、病魔が襲いかかりました。
手に持ったコップにビールをいただこうとしたならば、周りの景色が徐々に傾いて行くではありませんか?
一瞬、何が起きたのかわからず ボーット していると、周囲の仲間の声が聞こえだし、どうやら煮えたぎる鍋に直接倒れ込みかけて、となりにいた仲間が素早く対応して、煮えた鍋への直撃はさけられ、宴台をひっくり返し倒れたようです。    記憶にございません。
仲間はどうした、大丈夫かと、声をかけたというが  記憶にございません。
しばらくして、正気にもどり、仲間から 日ごろの不摂生とからかわれたが 酒が 喉をうまく通過しないことに気が付くのでした。
この症状が出始めてから、体がゆうことをきかない。 
仕事で使っている車から降りることができない?
頭の中の考えと、行動に微妙にズレが生じだし、体が異常にだるい。
会社の健康診断で、2年連続で心電図に異常があり、検査を受けろとの指示。
心臓外科の門戸をたたき、診察へ。   たいしたーこたーねらー でいたら
悲惨な結果となった。
このまま現状の状態を続けた場合には、いつ発作が起こるかわからない。
仕事を辞めて、療養に徹しないと、安全は保証できないとの御言葉。
若さゆえ、信じられず、そのままの生活を続けるが、医師の指導により煙草と、アルコールの摂取は厳禁と言い渡される。
煙草はなんとかやめることができたが、お酒はね!
アルコール摂取量を押さえて、量から質への転換などと言っていたらば

天罰
突如として、朝目が覚めても体が動かすことができない。
やっと動く体にむち打って仕事に出かけても、うまく行かずストレス がー
休みを取って、診察を受けると、仕事を直ちに辞めなさい。
ストレスからの神経圧迫により、自律神経と心疾患により心臓発作がいつ起きてもおかしくない状況です。体も心臓も限界に来ており、不整脈発作が多発し危険なことになりますとベッドで診察結果を聞くはめに。
ども、診察中に異変が起き記憶を無くしたようです。

無論、お酒や刺激物の摂取は厳禁、直ちに入院の手続きをと言われ、入院期間を聞くと   長い=仕事を辞める=命には→収入は→何とかなるさ。
(年老いた母と二人暮らしのことを考えると無理は出来ない)

結果として、勤め先の皆様には多大な迷惑を御かけいたしまして、(犠牲になられた方には心よりお詫びを申し上げます)仕事を辞めて、治療に専念することにいたしました。

仕事を辞めてからは、悪化していたお尻の治療を予約してあったのですが、診察結果、心臓疾患の治療を優先して、お尻は後回しになりました。
検査時に麻酔を使用したのですが、やはり局部麻酔は効きが鈍く、検査途中で醒めてしまい くー  きつかったー。

入院、手術、治療、療養、期間合計で2年を要したのでありました。
退院後は良い子で、規則正しい生活のおかげか、発作は起きずに月日は過ぎ
2年を過ぎるとお酒の覚醒に悩まされる日々となり、苦しみの機会が多くなり
誘惑負けて、アルコールをついに口にしてしまいました。

驚きの体調変化
アルコールが喉を通過するや否や、激しい動悸に襲われ、息をするのも苦しくなるしまつ。時間の経過とともに息苦しく意識さえも遠のくしまつ。
手に汗、体中の毛穴から冷や汗とともに体の力が抜けて行き、立つことも座ることも自由がきかなくなり、体に力が入らず、
膝から崩れる格好でへたり込むしまつ
とにかく、くるしー   苦しみから解放されたのは三時間後でした。
体の自由がもとにもどるまで12時間を要し、しっかりと天罰として記憶に刻み込まれました。 
アルコール=冗談じゃねぇーぜ アルコールに殺される。
のんべぇーが、お酒と縁を切ることになった瞬間  命惜しいぜ です。

我が苦しみを周囲の皆様にも理解していただき、各宴会に参加しても、近頃では、私のところにはアルコール無しの宴台が用意されるまでになっております。

懲りない性格

琥珀色に輝く液体
ビロードの感触の喉越し
甘い 香り
舌をしびれさせる感触  等等・・・・・・・
いもいわれぬ アルコールによるこれらの感触は全て 記憶にとどまっており
日々私を苦しめるのであります。
体さえ壊さなければ、もっと楽しめたのにと 日々後悔する
   
      のんべーの   おしゃべり
                  
   やまなしにゃー うんめー 酒 ほうーでもねー あるぞ

日本酒、ワイン、焼酎、ウイスキー、  ほーぅたらのめしー
醗酵酒、蒸留酒、果実酒・・・・・・・・ いっぺぇーあるぞ

だまくらかされて、きてみろしー ちったぁー はらのたしになるもんを

はらにほーりこんで おけしー  ほうしんと

おれみてーに けっぺたー に おみやげしょて  
ごしてぇーおもいするにーよ

ばかに つける くすりはねぇーちゅーうし

けがねー ように じょうずに のめしゃー

ふんじゃーね
                       2006.01.吉日

▲上に

浅川太陽光発電所 - 八ヶ岳・北杜市大泉 -
copyright 2001-2007・The ASAKAWA soler power station / ASAKAWA Hatsuo

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